虐待死についての認識の訂正

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その時言いたかったことをひとしきり言い切ったので

ブログを一年くらい放置していたわけだが、この間読売新聞1面で

冒頭のようなことが書かれていたので、ふと思い出し

そういやああのときおれが書いたのは間違っていたなあ、と

いうことで訂正の記事を書こうと思ったわけよ。

 

いつぞやおれは

最近マスコミが注目しはじめただけでこの手の事件は前からあった

と考えたわけだが、本調査によると事件のうち半数は少なくとも

調査がされていないことがわかったわけだ。

つまり、最近マスコミが注目しはじめたのでなく、

最近マスコミの目に留まるようになった のだ。

やっぱり他人の種より経費のが大事なわけよ。

 

改めて思うけど、やっぱり子殺しは生物の本能なんだよな。

 

別れても次貰い手が見つかるわけだから、女は魅力的なんだろう。

でもそいつについてるコブはいらねえんだよな。

他人の種だしうるせーし、ちょうど可愛げが失せる時期だし。

そういう話なんだよ。

 

おれがこの問題に注目する理由は、

直系を残したいっつー生物の本能に対して

生存権だの幸福追求権だのを謳ってる人間が、その理性で以って

自らを律することができるのかという命題でもあるということなんだよな。

食べる寝るセックスが本能の三大欲求であるということも含めて、

人間は、自分らで決めた自分らのルールを、全員が守れるのか。

 

ダイエットのために食べないとか、眠いのを我慢とか、オナ禁とか

欲求に抗う方法はあるんだよな。

ましてや殺人ともなるとよっぽど衝動的か計画的じゃない限り

やらなくていい方法はあるはずなんだよ。

でも子殺しがそうならないのはなぜかというと、この間もあったけど、

一つは外世界からの孤立。

二つは明らかな力関係の差。

三つは慣れ。

これらを起こさなければよいわけで、そのためには

児相が強制力をもって全件介入せよ、といっているわけだ。

 

マァよそんちの話だし、もっというとほかのやつの種だしって

言っちゃえば簡単な話なんだよ。

野生にこんな甘ったれた話はないじゃん。強いやつが生き残るんだ。

でもおれらは人間なんだよな、子供をしばきまわす前に

ほんまにこれでええんかいなと一旦考えるだけの理性があってほしい。

偉そうなことを言って中々おれも本能には抗えないんだが、仕組みを作ることで

わけもわからずぶっころされる子供が減らないと、人間という種として

理性を獲得した価値がないじゃないか?

おれたちの理性とは一体何の価値があるんだ?っていう話なんだよな。

 

だからおれはこの問題の解決が人間の理性の再度の獲得じゃないかと

考えていて、そうされないとおれらはそれぞれ個人が自分を大事にされる

ことだけ考えて、そのためだけに小難しく権利だのなんだのと

建前よろしく作っちゃうためだけに理性を手に入れたように見えてきちゃう。

理性ってのはそんなにクソしょうもないものなんだろうか。

理性とは尊いもので、すごいものじゃないのか。

理性とは至高の、万能の、あらゆるものに勝る人間のアイデンティティじゃないのか。

万物の霊長なんてそんな舐めた名乗りできるのは理性の価値あってのことだろ。

 

この理性を自ら否定するような行動を、種としての人間が許容するような

そんな事態は断じてあってはならない。

そんなことをしたら人間の価値がない。

なのにお仕事だからクソすっとぼけて予算がどうの人手がどうのって

そんなばかげたことを言っているやつは全く以って論点がわかっていない、

人間の汚点じゃないかってそう思っちゃうわけよ。

 

マァただ実際は人殺しが起きてるわけで、

みんな一律にルールを守らせることはむりなんだよな。

所詮仕事だから、こんな御大層なこと考えなくていいから

他人の種なんて突っ込み出ない程度に適当に見てるふりしてれば、って

そんなんなんだよ。

いじめだってそうだ、騒ぐやつがでるから適当にやめろーって言っとくけど

別に関係ないやつが死のうがそんなのしらねーんだよ。

ただの仕事なんだからそこまで責任押し付けるんじゃねーよ。

タテマエって知ってる?タテマエ。

 

ってそんな声が聞こえそうなそんな世の中なんだよなあ。