暇人の文学

世の中に見つけた疑問や不満に文句を垂れるブログです。

「死刑制度、反対!!!」

youtube見てたら、小籔千豊さんが死刑制度に賛成の理由は~とかって

題名ついたのがあって、見たら、別に大したこと言ってないという

いつものyoutubeのヤラセだったわけだが、

コメント欄に死刑制度是非について一生懸命書いてんのよみんなが。

 

これはいいね。

 

 

実は小藪さんの言ってる内容とかは結構どうでもよかったりして、

有名人が急にそんなこと言い出すと、普段考えもしないようなやつらが

ああでもない、こうでもないと一応意見めいたものを書き込んで、

それが議論を呼ぶわけだ。

有名人の価値はここにあるわけだな。

ちなみに小藪さんは条件付き賛成で、現行犯のやつを対象に

警官50人くらいでボッコボコにしてるところをyoutubeに流すんやとか

そんなことを言っていた。

現代版市中引き回しとか上手い合いの手が入っていたり、

人が人を殺すことはどういう場面でもしちゃいけないと思いますとか

誰か知らんオバハンがご高説を垂れていたりと

中々世の中が表れている、しょうもなさすぎていい動画だった。

 

岡村勲っていう弁護士がいて、有名な人らしいんだが、

本人は昔所謂人権派弁護士だったらしいんだが、

奥さんをぶっころされてから死刑制度賛成になったそうだよ。

1人じゃ死刑にならないのが日本の刑事裁判の慣例なのにだよ。

オッサンわかっとって上告までしてんねん、自分弁護士やから。

ほんで死んだの身内の弁護士の関係者やし色々考えんといかんかもなって

色々変わっていっとるわけだよ。

詳細はウィキれ。

山一証券代理人弁護士夫人殺人事件 - Wikipedia

 

実際、改めて我が身にならないと感情論は理解できないんだよ。

そして、刑事事件っていうのはいやしくも人が人を裁くものだから、

本来感情論にのっとってはいけないわけだよ。

ルールを守って楽しい死刑判決を。

 

ただね、この死刑制度というのはやっぱり議論があって、

1.冤罪だったら取返しつかんぞ

2.いやそうはいうてもやっぱ人殺すのはいかんやろ

3.刑罰というのは更生社会復帰のためにされるべきであって云々

結論死刑はちょっと厳しすぎるんちゃうのという理屈。

んで4として、そもそも抑止力としての刑罰、死刑のはずなのに、

「死刑になりたいから人殺してきた」とかいう基地外が沸くということは、

そもそも死刑自体が抑止力になり得ないんじゃあないかっていう

なんかもうニワトリタマゴ論みたいなのまである。

 

そも死刑或いは刑罰とは、

1.反省せんやつ牢屋に入れても時間の無駄やろ

2.こいつもっかい娑婆に出したらえらいことなるで

3.国民から報復権を取り上げてるからにはしっかり報復を

4.ルールを守って楽しい罰則

のために存在するわけやな。

先ほども書いたけど、社会生活には秩序が必要で、

それを一定の強制力をもって守らせるためには、

悪い子は死刑!っていう悪い子用のルールが必要になるわけやな。

そうでないと個人の報復の連鎖になって強い奴だけが生き残ってしまう。

ヨボヨボのババアでも相手を死刑にできるように、

国が秩序としての代執行を果たすことを条件に、国民から

自由に報復できたり敵討ちする権利を取り上げると、そういう話やな。

 

本音を言うとおれは刑罰とは報復権の執行以外にも

法を犯した国民に対する自由権の侵害という側面があるわけだから

科すのには厳格に定義が必要だと思うんだが、そんなこと言い出すと、

1.●●の場合

2.●●●でかつナンチャラしちゃった場合

とかもうそれこそありとあらゆる「起こりうる事象」を書きつけないと

そんなことはできないので、事実上無理だとも思うんだよね。

んで、損害の度合いを客観的に金銭的価値に求めようとしても、

「ジジイをやられて天涯孤独になっちゃったババアが持ってた

しょうもないジジイの形見を思いっきり踏んづけて壊した」ことは

価値のないかるーい犯罪になってしまうわけだな。

結局のところそこらへんから感情論は排除できなくて、

「被告に極刑を求め」ちゃって、「形見踏んだくらいでそれはナァ」なわけよ。

だからとっても難しいことなわけだな。

 

死刑制度反対とか簡単にいうけどよ

おれの娘を殺して貴様ただでおかんぞ!とか

国民の報復権を、国の報復権代執行をどこまで認めるのかとか

ホンマにお前がやったんかとか

こいつは娑婆に帰したらいかん人間なのか、そうでないのかとか

複雑な色んな事情の上に成り立ってて、

最後もう何を以って償うかってお前の命しかないやんと

そういう判断が必要なときがあるかもしれないし、

いやいや人殺しが合法的になってしまうのはまずいですから

永久に閉じ込めておきましょうとか

その閉じ込めておく費用お前が払うんかとか

考えないといけないこともいっぱいあるんであって、

しちゃいけないと思いますとかそんなくそ自分勝手な理由で

反対しちゃあいかんもんなんだよ。

 

死刑制度賛成とか簡単にいうけどよ、

お前今まさにいきなり身に覚えもないままつかまってフルボッコにされてさ、

お前がやったんやろ!指紋もあるし証拠は挙がってんねん!

このオバハンもそんときお前みてるから間違いないんじゃ!っていわれても

いやおれしてないし、って何べんいうても死刑判決変わらずだと

なんやねんめんどくさい、、やっとらんっつーにってなるわけで、

被告に厳罰を!とかそんなくそ自分勝手な理由で

賛成しちゃあいかんもんなんだよ。

 

だからこの件については、もし議論が必要なら、もっと感情論を含めた

論理的議論が必要になるわけなので、とても決着が難しいのだ。

だから死刑制度反対なんて簡単に言ってはいけないし、

死刑制度賛成なんて簡単に言ってはいけないのだ。

 

ただ意見を持つことは大事だと思うので、国民が我がことと思って

喧々諤々議論すると、そういう社会参画が大事なんだというお話。